ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”どうして、これが必要なのだろう?”

私たちは、常に必要性に囚われながら生きています。

お金が、家が、食料が、仕事が、友達が、伴侶が、健康が、地位が、名誉が、愛してくれる人が・・・・。延々と続くのでこの辺にしておきますが、必要性を主張するということは、人が生きていくうえで当然の権利であるかのようです。

 

何かが必要になるのは、特定の結果を求めるときだけだ。(中略)

あなたがたは、生き延びるためには何かが必要だという体験から、想像のなかで必要性という考えを生み出した。だが、生きようが死のうがかまわないと考えたらどうなるか?何かが必要だろうか?

----なにも必要ではない。

では、生きないでいることは不可能だと考えたらどうか?何かが必要だろうか?

----なにも必要ではない。

ここに、あなたがたの真実がある。あなたがたが生き延びないことはありえない。生きずにはいられない。生き延びるかどうかではなく、どう生きるかが問題なのだ。(サンマーク出版:「神とひとつになること」より)

 

この考え方を受け入れるのは、「死」というものは存在せず、肉体が機能しなくなってもわたしたちは永遠に生き続ける、という概念を自分の真実にしなければ到底無理だと思います。

私はありがたいことに、自分自身の生き死にについては何の執着もなくなりました。しかし、愛する人の生死については、全く執着がないかというと、そうはいきません。

たとえば、私はダンナを全身全霊で愛していますが、彼に先立たれたら、気が変になるのでは、と昔から恐怖感を抱いていました。しかし、この恐怖感は「愛」なのか?突き詰めて考えてみると、どうも違うようなのです。

彼に先立たれたら・・・・

寂しい、つらい、苦しい、経済的にやっていけない・・・こんな思いは全部、自分可愛さのエゴですよね。私は、「この人なしでは生きていけない=愛情深い」と、若い時は勘違いしていましたが、必要性は愛ではないと、神様は言っています。

 

「必要性」というのは、最も強力な愛の殺し屋だ。だが、あなたがたのほとんどは、愛と必要性のちがいを知らず、二つを混同してきたし、いまも毎日混同している。「必要性」とは、いまは自分のものでない何かが自分の外に存在し、幸せになるにはそれが必要だ、ということだ。それが必要だと信じているから、それを獲得するためには何でもしようと思う。あなたがたは、必要だと思うものを獲得したがる。(中略)

あなたがたが完璧に幸せであるために必要なものは、何もない。必要だと思っているだけだ。深い完璧な幸せは、自分の内側に見いだされる。それを見いだせば、外にあるものなどくらべものにならないし、それを損なうものは何もない。(中略)

あなたがたは、自分の最も偉大な部分を、自分の外で体験しようとしている。他者を通じて自分を体験しようとしている。あなたを通じて他者に自分を体験させるのではなく。(サンマーク出版:「神との友情 上」より)

 

私が幸せであり続けるためには、ダンナに、私より先に死んでもらっては困る、というのは愛情ではなく、執着で依存です。何かを持っているから、誰かがいるから幸せなのだ、というのでは、それを失ってしまったとたん不幸になるということになります。人生は不確かであり、まさに「一寸先は闇」だということになってしまいます。

 

幸せを「しよう」と思ってはいけない。ただ、幸せで「いる」ことを選びなさい。あなたの行為のすべては、そこから生じる。(中略)どんなときでも、幸せでいることを選ぶのはあなただ。あるいは悲しんでいることを選ぶのもあなただ。怒っていること、おだやかでいること、寛容であること、悟りを開いていること、何でも選べる。あなたが選ぶのだ、あなたが。あなたの外にある何かではない。しかも、あなたは好きなように選べる。それが、偉大な秘密だ。(引用元:同上)

 

幸せで「いる」と決めただけで幸せになれる・・・。そんな簡単に幸せになれるもんか?と思ってしまいますが、私の場合は、「瞑想」が幸せ到達へのツールになってますかね。以前は、”瞑想とはこうあるべき!”みたいな固定観念があって、ちっともそこに到達できなかったものだから、すっかり瞑想嫌いになっていましたが、最近は、もう自己流で好き勝手にやってますので、時間を見つけて最低でも1日一回、時間さえあれば何回でも・・・てな感じでやってます。瞑想をすると、自然と癒しが訪れて、ネガティブな感情が薄まっていき、愛に包まれている感覚が訪れて、瞑想終了時には、幸福感がアップしています。

 

自分が「こう在ろう」と決めさえすればいいのだったら、外側からは何一つ影響を受けなくて済みますし、好きなように自分を自分でカスタマイズ(?)できるのだから最高ですねキラキラ

何か執着している”もの”がある、執着している人間関係があるならば、一度、「どうして私はこんなに(これ・誰)に執着しているのだろうか?」とじっくり自分に問いかけてみてはどうでしょうか?

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ