ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

愛とは何か?

愛とは無条件、無際限で、何も必要としない。無条件だから、表現するために何も求めない。何の見返りも要求しない。仕返しに出し惜しみすることもない。無際限だから、他人に何の制約も与えない。終わりがなく、いつまでも続く。愛の経験には、境界も障壁もない。

何も必要としないから、自由に与えられるもの以外は何もとらない。もってほしいと思われるもの以外は、何ももたない。喜んで歓迎されるもの以外は何も与えない。

そして、愛は自由だ。愛とは自由であるものだ。自由こそ神の存在のエッセンスであり、愛とは表現された神だから。(サンマーク出版:「神との友情上」より)

 

私は愛だ、光だ、と、毎日マントラで唱えておりますが、「愛」とはなんたるものか?わかっているようでわかっていないのが実情ではないでしょうか。

前回のブログも「愛になりなさい」というタイトルで記事をアップしましたが、そもそも「愛」がなんなのか、わかっていなかったら、ただの自己満足だったり、エゴだったり、独占欲だったり・・・。

 

私たちは、それぞれ一人ずつみんな、抱えている状況・環境が違います。この世に生まれ出るときに、あらかじめ、ある程度のプランにのっとって、生まれてから起きる大きな出来事などをおおまかに決め、貧困家庭に生まれるとか、どの国に生まれるとか、両親は誰にするとか、自分で選択し誕生してくるのです。でも、ほとんどの人は、その青写真も、自他の創造・成長のために様々な出来事が起きるのだ、ということも忘れ去っているので、嫌なことばかり続けば自分は犠牲者だと思い込み、運命を呪います。しかし、この世で思い出すべき何かがあるからこそ、いろいろな出来事が起き、人・もの・動物・植物等々が自分の人生に関わってくるのです。それもこれもみな、お互いに成長し、創造し、思い出すためであり、与えたり、受けたりしながら、関係を築き、影響を与え合っているのです。

 

私も、わかっているつもりでした。でも、完璧に愛を実践できているか?といえば「まだまだ」です。今、自分に欠けているものがなんなのか、気づくきっかけをくれたのは、今月、立て続けに虹の橋を渡った2匹の愛猫の存在でした。

 

うちは16年前から猫を飼い始め、猫アレルギーだったダンナが猫の虜になり、この16年の間にたくさんの犬猫と関わってきました。ざっと数えただけでも15匹くらいになると思います。

私は動物が大好きで、猫を飼い始めてダンナ同様、猫の虜になり、捨て猫や迷子猫(犬も)を保護しているうちに、いちばん多いときで10匹超えるほどの大所帯になってしまったりもしました。自他ともに認める動物好きのつもりでしたが・・・。

 

いま、うちで飼っている猫は5匹。16年の間に見送った犬猫も多く、「第2世代」的な猫達です。「第1世代」の猫たちは、みな仲が良く、性格も良く、問題行動もなく、溺愛し可愛がるのはたやすい事でした。”猫というのはみなこんな感じ”と思っていたのですが、「第2世代」の猫たちは、最高年齢の「きなこ」、猫嫌いの「ポッチ」、気が強い「あんこちゃん」の3匹のバトルが激しく、家の中で縄張り争いをしてスプレイ行為をあちこちでしたり、キッチンで激しく争って、鍋や油をひっくり返し床にぶちまけたり、私に対しても、そばを通るだけで唸ったりひっかいたり・・・。「第1世代」が平和でおだやかな猫達ばかりだったので、この差に愕然とし、「第2世代」、特にきなことポッチに対して私の愛情は薄れていきました。もちろん、最低限の愛情は注ぎますが、「可愛いか、可愛くないか」といったら「・・・う~ん、あまり可愛くない・・・」と断言できるくらい。私は「この2匹は”はずれ”に当たった」と思っていました。

 

なので、12月中に死んでしまった2匹(ともに第1世代)、特にメスのココの死はショックでした。「まだまだ元気で長生きして、いつまでも私の癒しでいてね」と、いつも頬ずりして言い聞かせていたのです。その癒しの愛猫が突然逝ってしまって、ぽっかり穴が開いたような気持ちでいたのですが・・・。

 

つい先日、何気なくAmazonでペットロス関連の本を検索していた時に、目についたのが

魂はずっとそばにいる」~旅立ったペットからのメッセージ~(前田理子著)

 

 

でした。試し読みしたらどうにも続きが読みたくなって、購入し、読み進めるうちに、はたと気づいたのです。

私は、犬猫たちに愛情をまんべんなく注いでいるつもりだったけど、単に可愛がりやすい、性格の良い子たちだけをお気に入りとして、くせの強い困った行動をくりかえす子に対しては、「アンタがそんな態度だからちっとも可愛く思えないんだよ~」と態度で示していたのです。これのどこが無条件の愛でしょうか。彼らが、私の発する「可愛く思えない」オーラを察しているのは当たり前で、私はそれを知っていても(あんな態度をする方が悪いのだ。こっちはもっと愛したいのに噛み付いてきたり引っ掻いたりするなんて!)と自分の思いを正当化していました。彼らが問題行動を起こすには何らかの理由があり、もしかして、私に無条件の愛を思い出させるためかもしれないのです。穏やかな懐っこい動物は愛するのは簡単ですが、くせが強く、問題行動を起こす動物を愛するのは難しい。私は、「野良だったのを保護し、世話してやっているのだから、これで十分でしょ、可愛く思えないのはあっちの責任で私のせいではない」と開き直ってきましたが、私が無条件で無際限の愛を実践するために、今まで関わってきた犬猫たちは総勢で、それぞれがその時々に大きな贈り物を私に届けてくれていたのだと、思い至ったのでした。私の思い込みかもしれませんが、今月逝ってしまった2匹が、「自分たちに注いでくれたような愛情を、いま生きてそばにいるコたちにもちゃんと注いであげてね」と言っているような気がしたのです。

 

本を読み終わった後、気づきを与えてくれたこの本と、先に逝ってしまったコたち、行方不明になってしまったコたち、里子に出したコたち、いま、一緒に暮らしているコたち、みんなに感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。(ちゃんと計算したら、総勢20匹でした!)

 

これから先、私と関わりのある人、動物、植物、モノ、すべてに対し、いつもいつも無償の愛を注げるかどうかはこれまた修行ですが、本来の私たちは完璧な愛であり、それを思い出すのがこの世での目的なのだからして、まったくの「無」の状態から愛を生み出すわけではなく、すでに持っているものに気づけばいいだけなので、大丈夫!私を含め、みんな、みんな、できるはずです!

みんなで一緒に、光の世を創造していきましょう!

 

お読みくださりありがとうございます。

全てに感謝照れドキドキ

 

愛猫ココ↓