ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”賢く輪を旅するというのは、同じ土地をはじめて旅することだ”

ここ沖縄では、もう何週間も晴れの日がありません。私が移住してきて15年以上になりますが、こんなことは初めてです。ほんの少し太陽が顔を出すことはあっても、すぐ雲に隠れてしまい、雨が降らない日はないほど、じめじめじとじとしています。(場所によって違うかも?)

朝が来れば夜明けとともに日が昇り、日中は青空にさんさんと輝く太陽がある----。当たり前だったことが、もはや、遠いはるか昔のことのようです。

そりゃ、雨の日や曇りの日が続くこともありますが、せいぜい1週間もすれば晴れの日がくるのが普通です。なのにいったいどうなっているのやら・・・?梅雨時期ですら、こんなに太陽が拝めないことはありませんでした。こうなってくると、ほんの数分でも太陽が顔を出すと「あ~っ!お日様出てきた!!」と叫び、喜びいさんで庭に出て日の光を浴びるほど、太陽が恋しく愛おしくなってきます。

 

考えてみると、太陽がこんなにもありがたいものだったと、気づかせてくれたのは、まぎれもないこの曇天、長雨の日々です。毎日毎日繰り返される、曇り/雨の空模様を、うんざりした気持ちで眺めるか、「太陽のありがたさを教えてくれてありがとう」と思えるか、自分の考え方ひとつで視点が変わってきます。

 

充分に生きている人たちは、生命/人生のくり返しに決していらだたない。生命/人生そのものが、くり返しだ。新しいことなど、何も起こりえない。かつて何度も起こったことを新しく体験する、可能なのはそれだけだ。神は、くり返しだよ。生命は神、自らをくりかえす神だ。くり返しを楽しむ気持ちをもちなさい。そうすれば、神の愛、生命の愛が得られる。

この春、ふたたび花が開くのを見るときに気づくだろう。

この夏、ふたたび陽光を浴びるときに気づくだろう。

この秋、ふたたび大気が芳しくさわやかになるときに気づくだろう。

この冬、ふたたび新雪が舞い落ちるときに気づくだろう。

何度も聞いた、それでも決して飽きることのない、大好きなメロディを耳にして微笑むとき、気づくだろう。

あるいはこのつぎ、何度抱かれてもなお愛しい恋人にやさしく抱かれるとき、気づくだろう。そうしたことを、あなたは何度も何度もくり返し、そのくり返しを、愛する。

サンマーク出版:「新しき啓示」より)

 

でも、この先、晴れ続きの毎日が戻ってきたら、どうでしょう。この太陽への狂おしいほどの愛も薄れてしまうのではないでしょうか。

夜が明けると太陽が昇ってくるなんて当たり前じゃん!という感覚に戻ってしまうのでしょうか。いやいや、いま経験している、長い長い「曇り/雨続きの日々」のことを、忘れなければいいのです!すべての事象は、始まったとたんに終わりが始まります。それを意識するか・しないかの違いで、人生が変わってしまうのです。

 

うちには犬犬が2匹おりまして、(猫猫もいっぱいいますが)この2匹、喜びの表現が半端ない!1日2度の散歩とごはんが生きる楽しみなのはわかりますが、散歩に行くときは嬉しさのあまり、私に何度もジャンピングアタックをして、それが終わるとぐるぐるぐるぐる旋回をはじめ(ただ単にちゃんとしつけてないからだろっ!という声がどこかから聞こえてきますあせる・・・)興奮が収まってからやっと出発です。ご飯のときは、毎回必ず、1匹はその場で小躍りし、もう1匹は反復横跳びを延々と・・・。特に代わり映えのない、毎日同じような犬ごはんなのに、よくもまあこんなに激しい喜びの舞をするものだと、感心してしまいます。

 

日々くりかえされる似たような日々に、感謝や喜びを見いだすにはどうすればいいか。そうでなかった時のこと、またはもしそれが失われてしまったらどうなるかを、想像してみるといいでしょう。そうすれば、いま、ここにこうして生きていることが奇跡なのだと実感でき、いわゆる災難だったことや、自分に辛くあたった人に対してですら、感謝の念が湧き上がってくるにちがいありません。

 

輪を旅するというのは、同じ土地を何度も何度も旅することだ。

賢く旅をするというのは、同じ土地をはじめて旅することだ。

そうすれば、ふつうのことが特別になるし、輪は行きたいところへ行く道になる。そしてその道がぐるりとめぐって戻ってくると気づいたとき、あなたが行きたいのはあなたがすでにいるところだと・・・・ずっといたところだと悟る。(引用元:同上)

 

お読みくださりありがとうございます。

全てに感謝照れドキドキ