ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”感情は魂の言語”

あなたがたの心の声は、わたしのいちばん大きな声だ。なぜなら、あなたがたにいちばん身近な声だから。心の声は、すべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。それに従う気になりさえすれば、針路を決めるレーダー、船の舵、旅の道案内となる。その声はたったいまも、あなたが読んでいるこの言葉が、愛の言葉か不安の言葉かを教えてくれるはずだ。この物差しを使えば、従うべき言葉か無視すべき言葉かわかるだろう。(サンマーク出版:「神との対話①」より)

 

自分の心の声って、魂のことですよね。魂の声ってどうすればわかるんじゃい?

 

感情は、魂の言語だ。何かについて、自分にとっての真実を知りたいと思ったときには、自分がどう感じるかを探ってみればいい。

感情というものは、なかなかみつからない。自覚するのはさらに難しい。だが、最も深い感情のなかに、最も高い真実が隠されている。要はこの感情をつかむことだ。(引用元:同上)

 

感情を見つけるのってそんなに難しいかなあ・・・?

あ、本当の感情と、偽の感情があるのか!

 

感情のレベルには、さらに五つのレベルがある。つまり五つの自然な感情だ。悲しみ、怒り、羨望、不安、そして愛。さらにそのなかに、最終的な二つのレベルがある。愛と不安だ。愛と不安は五つの自然な感情にふくまれるが、どの感情も基本は愛と不安だ。ほかの三つの感情は、この二つから派生する。(中略)すべての思い、思考、概念、決定、選択、行動はこのどちらかに根ざしている。しかも究極的にはたったひとつしかない。愛だ。じつは、愛こそすべてだ。不安さえも愛の派生物であり、効果的に使われれば愛の表現になる。(神との対話③より)

 

私たちは、子供のころから、感情を抑制することを強いられてきました。怒りをこらえなさい、悲しくても泣いちゃいけない、人を羨んだりしてはいけない、そんなことで怖がるな、時には、愛情を素直に表現する事すら禁じられます。

 

自然な感情が抑圧されると、不自然な反応と対応が生じる。たいていのひとは、最も自然な感情を抑圧している。だが、自然な感情はあなたがたの友人だ。贈り物だ。経験をきざみ出す神聖な道具だ。あなたがたは、生まれたときに与えられたその道具を使って、人生をうまく渡っていくべきなのだ。(神との対話③より)

 

子どもの時に、自然な感情を表に出すことを禁じられてしまったため、大人になるにつれて、私たちは自分の感情を殺すことがこの世をうまく渡っていくコツであると信じ、世間の常識に沿った態度を、無理やり自分の感情に押し付けようとします。それができないと、、空気が読めない、大人げない、非常識だ、などの烙印を押され、社会からはみ出してしまうのです。

 

その、自分で無理やり型にはめてきた偽物の感情を、本当の自然な感情に置き換えるには、どうしたらいいか。完全に自分に正直になるしかありません。(こんなこと感じるなんて私はひどい人間だ・恥ずかしい・異常だ)などといちいち検閲をせず、表に出すしかありません。

 

感情は否定的でも、破壊的でもない。シンプルな真実にすぎないよ。その真実をどう表現するか、それが問題なのだ。真実を愛で表現すれば、否定的、破壊的な結果になることはほとんどない。そんなことになるとしたら、誰かがあなたの真実を否定的、破壊的な方法で表現したからだよ。そんなときは、しかたがない。あなたにはどうすることもできない。自分の感情を表現しないほうがいいことなど、ほとんどないだろうね。だが、人間はたいてい、感情を表現しない。不愉快なことにぶつかったらどうしようと不安だから、真実を隠している。いいかね、覚えておきなさい。メッセージがどう受け取られるかはどうでもいい、それよりもどう送られるかのほうが大事なのだよ。(中略)

「否定的」な感情も表現しなさい。だが、破壊的に表現してはいけない。否定的な感情を表現しないで、内にためこんでいると、いつまでも消えずに残る。「蓄えられた」否定的な感情は、身体によくないし、魂に重荷を負わせる。(中略)否定的な感情を、何もかも当の相手にぶつけなくたっていいんだよ。誰かに否定的な感情を伝える必要があるのは、そうしなければ自分自身が誠実さを欠く場合、あるいは誰かに誤解を与える場合だけだ。否定が究極の真実から出ていることは、絶対にない。そのときは真実のように思えても、究極の真実ではない。あなたの癒されていない部分がそう思わせるのかもしれない----。じつは、それ以外のことはありえないのだ。だから、否定的な感情を放出し、解放することが大切なのだよ。外に出すこと、自分の前に置いてみること。そのときはじめて、はっきりと見えてくるし、ほんとうにそう信じているかどうかもわかる。みにくいことでもすべて口に出してしまうと、もう「真実」とは思えなくなるのに気づくはずだ。恐怖や腹立ち、怒りをすべて表現してしまうと、もうそうは感じていないと気づくはずだ。だから、感情というのは不思議なのだ。感情は魂の言葉だが、本当の感情を聞きとっているか、それとも理性がつくりあげたまがいものなのかを、見きわめなければいけない。(神との対話②より)

 

今まで世界は「隠す」ことで成り立っている暗黒の社会を築いてきました。しかし、これから先訪れると言われている黄金時代は、隠し事のない「見える」社会です。その到来を前に、私たちに何ができるでしょうか。臭いものに蓋をするかのごとく、善人ぶったりするのではなく、”自分に完全に正直になること”から始めてみませんか。否定的な感情を上手に表現できるようになれば、その都度心がクリアになって、きっと、自分の心の声=魂=神様の声が聞こえてきますよ!

 

お読みくださりありがとうございます。

全てに感謝照れドキドキ