ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”残る世界がどうであろうと、自分は自分でいる”

今回のタイトルは、サンマーク出版「新しき啓示」からの抜粋です。

 

コロナ(偽)パンデミックで、世界には恐怖・不安・失望・絶望が渦巻いていることでしょう。

私自身は、恐怖をあおるコロナ関連の情報は信じていませんが、世間がメディアをうのみにしているこの状況に対して、うんざりし、ストレスを感じ、「なんでみんな”おかしい”って気づかないかなあ!もう!チュー」なんて思ったとしたら、それもまた外界に影響を受けているので、内的平和を実現していることになりません。

 

外からの瞬間が何をもたらそうとも、自分の内なる状態を平和や愛や理解、共感、

分かち合い、赦しにすると前もって決めておけば、外の世界はあなたに対する力を失う。(中略)

世界が平和でもなんでもないとき、どうすれば平和でいられるか?

世界が愛でもなんでもないとき、どうすれば愛でいられるか?

世界が赦しでもなんでもないとき、どうすれば赦しでいられるか?

残る世界がどうであろうと、自分は自分でいると主張することだ。

そうすればあなたがふれる世界はゆっくりと変わるだろう。

サンマーク出版:新しき啓示より)

 

これは、理屈では分かりますが、「は~いやってみま~す」なんて言ってすぐ実行できるもんでもありません。なかなか難しいです。

 

世界というコミュニティは、長いあいだ、問題を解決するために「何かをしよう」としてきた。だが、それでは長続きのする変化は起こらなかった。人類はいまだに、何世紀もしてきたように行動している。

何かであること、それが答えだよ。(中略)

あなたは安らかであることを「する」ことはできない。安らかで「いる」ことができるだけだ。

あなたは愛情豊かであることを「する」ことはできない。愛情豊かで「いる」ことができるだけだ。

あなたは一体であることを「する」ことはできない。一体で「いる」ことができるだけだ。だから、存在の状態を変えることをめざしなさい。最初に世界を変えようとせず、まず自分を変えようとしなさい。それができれば、あなたの行動は自動的に変わる。

(中略)

あなたが何者であるか、どんな存在であるか、ということは、あなたの想像以上に世界に大きな影響を与える。だが覚えておきなさい、外界の平和を達成できないと動揺していたら、内なる平和も達成できない。(引用元:〃)

 

私は、若かりし頃、環境問題や平和問題に取り組んでいて、NPO団体に関わったり、ボランティアをやったり、まあ数えきれないほどいろいろなことをしました。どれもこれも、「この世界はおかしい。なんか間違ってる。どうにかしたい!」という熱い情熱からでしたが、結果どうなったかといいますと、自分がどんなに頑張ってみても、相変わらず戦争は起き、環境破壊は終わることなく、世間一般の人はそんなことに関心を持たず自分の生活のことで頭がいっぱい・・・無力感と怒りと絶望で鬱になってしまったんですね~。

これも、「行動で世界を変えたい」と思ったからなんだろうな~。

当時、もう「新しき啓示」は読んでいたと思うのですが、心底理解していなかったのかもしれません。

 

それから、あなたが何者であるか、何者であることを選ぶかというあなたの決断、あなたが分かち合う情報が、何か、あるいは誰かに、影響を及ぼすだろうという期待は捨てなさい。結果を求めてはいけない。(中略)結果に満足するから前進するのならば、結果が出なければ欲求不満になって前進をやめてしまうだろう。そうなれば、あなた自身を敗北させることになる。(中略)ほかのひとたちの信念を変えさせたいから自分の信念を変える、というのはやめなさい。自分の新しい信念が自分をより正確に表すから、だから信念を変えるのだ。(中略)ひとは変われと言われて変わるものではない。力のある人びとに命じられれば、一時は行動を変えるかもしれないが、それは本当の変化ではない。外向けの表面的な変化にすぎない。内側の真実は変わらない。(中略)変化は自由な行動であって、追従の行動ではない。従属は創造ではなく、創造だけが進化の行動だ。だから世界を変えようと思わないこと。世界に見たいと思う変化を、自分自身のあり方にしなさい。(引用元:〃)

 

人は、どんな世界であってほしいと願うものでしょうか。

平和で安全で、愛に満ち溢れ、差別や分裂、優劣がなく、公平で、誰もが尊重され、自由で、喜びに満ち、いじめ・批判・誹謗中傷・暴力もなく・・・。

でも、自分のあり方を振り返ってみた時、はたしてどうか?自分の望む世界と自分のあり方は一致しているでしょうか。

「そんな、自分神様じゃないし、品行方正・清廉潔白な生き方なんて無理無理!」という声が聞こえてきそう・・・。

はい、私だって、まあ偉そうなこと言えたもんじゃありません。しかも、この「在り方を変える」を間違った方向で実生活に取り込んだもんですから、望む自分と実際の自分とのあまりのギャップに、罪悪感と自己否定とで地獄の苦しみを味わいましたね~。自分の中にある闇の部分、ネガティブな部分に対し、嫌悪感でもって対処しちゃいけなかったんです。当時、私は自分が大嫌いだった。でも自分のことが大嫌いな人が、無条件に誰かを愛せるはずがないんです。でも、どうすれば自分を無条件に愛せるのか、これがおそらく私の現世での最大のテーマだったんだと思います。あ、なんか長くなっちゃいそう・・・。”自分を愛する”については

また改めて取り上げようと思います。

 

ようするに、外界のゴタゴタに振り回されることなく、常に、自分の内側が平和・愛で在ることをめざせば、自動的に世界が変わっていくよ・・・ってことですね。短くすると簡単に聞こえるね。

しのごの言わずに、「はい、そうします!!」

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ